1月26日(火)ドーハ(カタール)での五輪アジア最終予選準決勝にて、日本代表は
イラク代表に2−1で勝利。リオ五輪の出場権を獲得した。
イラク代表は、日本サッカー界というか日本人にとって忘れることのできない「ドー
ハの悲劇」の対戦相手。
日本がJリーグ開幕した1993年、勝てば、日本サッカー史上初めてのワールドカップ
(94年米国開催)出場が決定するところだった。日本が2−1で勝っていて、タイム
アップ寸前のアディショナルタイム、そのまま逃げ切れば、と思われたとき意外なこ
とが起きた。イラクのコーナーキック(CK)は、ショートコーナーから日本ゴール
前にクロスしたボールをヘディングで決められ(2−2の同点)万事休す。出場権を
逸した因縁の対戦相手である。
この試合も偶然か、舞台は同じドーハ、対戦相手も同じイラク代表。日本代表のU−
23は、ユース時代でもイラクに1度も勝ったことがなく、世界大会にも出場したこ
とがない。今回のイラク代表は大会参加国随一の実力あるチームという前評判であっ
た。それに加え、リオ五輪への出場権をかけた因縁深い試合でもあった。
この日本代表の世代は、この最終予選前、それほど期待されていなかった。それに、
グループ戦の第1戦での北朝鮮代表との試合で、勝ったものの試合内容は最悪だっ
た。けれども、勝ったことと、その後の試合に選手を入れ替え、22選手が出場したこ
と、それに、全試合勝利という結果を出せたことが、チーム内に信頼と「団結力」が
生まれ活気をていした。その力が「絶対勝ってみせるぞ!」という執念に置き換わっ
て、「ドーハの悲劇」を裏返すような、1−1の同点で迎えた、タイムアップ寸前の
アディショナルタイムの3分間に、FW久保に代わって入ったFW浅野が右サイドの
コーナー付近に出たボールを、中央から猛然とダッシュしてボールを奪い、直ぐ近く
にいたMF南野へパス、間髪入れずゴール前へクロス、相手GKがパンチで正面へク
リア。Dマーク(バイタルエリア内)に詰めていたMFボランチの原川が右足でト
ラップし左足で強烈なシュートでゴール右隅に決めた。これこそ、「ドーハの悲劇」
とイラク戦未勝利という因縁の壁を、チーム全員の団結力に、大和魂と執念を込めた
シュートで突き破って、「ドーハの喜劇」に塗り替えたのだ。
日本代表は、イラク代表のDFラインの裏へのロビングとドリブルやショートパスで
揺さぶられていたけれども、この試合も先制点を決めたことが、その後の展開に落ち
着きを取り戻すことができた。この先取点は前半26分トップのFW鈴木と久保の連携
プレーで生まれたもの。中盤左サイドでボールを奪い抜け出した鈴木はドリブルでス
ピードを落とさず、ゴール前へ強いアーリークロス。そこに相手と競り合いながら抜
け出した久保がジャストミートでプッシュして決めた素晴らしいゴールであった。
前半終了間際の43分、イラクにCKからヘディングで同点ゴールを決められたが、そ
の後の日本はGK櫛引、センターバックの上田、ボランチの主将遠藤が中心になり、
押されながらも組織的に強力なイラクの攻撃を未然に防ぎ得点を許さなかった。
手倉森監督はこの試合も4人先発を入れ替えた。「誰が出ても、誰と組んでもやれ
る」「どんな相手でも負けない」という選手たちの気持ちが団結力となり、「勝つ
ぞ!」という執念となって、五輪出場を決めたのだ。というのが蜻蛉のつぶやきであ
る。