ワールドカップ(W杯)やオリンピック(五輪)のような世界的な大会のアジア予選
を突破して、本大会出場をし続けることこそ、サッカー日本代表の場合、何よりも重
要。もちろん女子も、各年代層のW杯も同様だ。
なぜか?:日本は地理的に、欧州や南米のトップクラスの国々へ簡単に遠征できる環
境ではないことに問題があるからだ。W杯や五輪こそ、日本が世界のトップと真剣勝
負ができる唯一の機会であり、そこで試合することはもちろん、W杯に向けて、ある
いは五輪に向けて様々な準備をする過程で、日本はすべての面で得るものはとてつも
なく大きい。これらすべてのプロセスが日本サッカー界(各分野と個人も含めて)の
財産になっていくのだ。
このような大会で、数多くの場数と経験を積んでこそ、着々と「世界のトップとの差
を詰めているのだ」という実感がわいてくるのだ。逆に、もし出場できない場合、そ
れらすべてが空白になってしまうのだ。
ところが、日本の場合、本大会に出場しても、結果が出せないと落胆し、それまで積
み重ねてきたことまで否定してしまう。過去のW杯06年のドイツ大会(ジーコ監
督)、10年の南アフリカ大会(岡田監督)、14年ブラジル大会(ザッケローニ監督)
にしても、結果とか内容を気にして(責任回避的行動で)、本当の意味での反省がな
されていず、次期監督候補の話題で矛先を変えてしまっていたのだ。
協会と強化技術委員会のスタッフの交代や監督の交代の度に指針が変更されたりで、
系統的で継続性という一貫性がないのだ。過去の3大会の監督とその国籍を見ただけ
でも分かるはず。それだから、いつまでたっても日本のサッカーの本質は、同じとこ
ろを行ったり来たりで、変わっていず、その間、選手たちは、歴代の監督に振り回さ
れているだけなのだ。
下部組織のU−20、U−17、U−15にしても、アジア予選で勝てなくなっている。一
旦W杯の大会出場が途切れると、連鎖反応のように出場できなくなる。若いうちに国
際舞台で経験する機会を失い、再起するのに、今回のU−23のように苦難を強いられ
るのだ。それだからこそ、日本代表は世界的大会に出場のため、アジア予選を突破す
ることは不可欠。
世界トップとの距離を確認する意味でも、勝ち負けの結果だけでなく、すべての角度
から謙虚に評価して、長所と短所を抽出して、強化育成のための、ダイナミックな緻
密なプランを立て準備する必要がある。
そのためにも、日本代表Aが18年W杯ロシア大会出場がすべて。そうでないと、日本
のサッカーファンは少し少し興味が薄らいで離れていってしまうのだ。なでしこジャ
パンのリオ五輪予選も同様だ。もし出場できなかったら? そうなってからでは遅す
ぎる(ペルーのサッカーを私は、36年観てきているから心配なのだ)。これが蜻蛉の
つぶやきである。