日本代表は、なぜ守備の課題を置き去りにしてきたのか?

日本代表の問題は、はっきりしている。守備の弱さ。選手個々の弱さ。経験不
足。等々にある。なぜ20年以上経っても同じ課題なのでしょう。

日本代表の問題の原因について私は、これまでこのブログにて、いくつかを指摘して
きました。特に守備の問題に関しては、W杯開催4年ごとに、国籍の異なったスタイ
ルの指揮官が、入れ替わり立ち代わりで、一貫した指導がなされていず、重要な課題
でありながら置き去りにしてきたことが要因なのです。

2014年の南アフリカ開催のW杯にて、岡田武史監督が急造の守備的サッカーを選択し
た以外、日本の関係者も外人監督も、ディフェンス陣から構築しようという考えはな
かった。それはなぜか?

日本には、「攻撃は最大の防御なり」ということが一般的な常識であって、「守備の
文化」がないからである。日本のディフェンスは守るための守備というより、攻める
ための守備。それに、Jリーグのクラブも、1点を守りきろう、と、いうことはしな
いし、できないのだ。(南米ではこういう試合を見てきている)

ここで、私が36年間目撃してきた南米のペルー代表の例を挙げてみましょう。

ペルー代表は1970年80年代は、75年コパアメリカ(南米選手権)に優勝、W杯は70・
78・82年に出場、86年W杯優勝のアルゼンチンに対し、予選にて1勝1分け(勝って
いれば出場できたけれど、最後に反則気味の同点ゴールを決められ)で出場できな
かった。

それ以来ペルー代表は30年以上出場できないでいる。なぜなのか?その理由は日本代
表と同様、外人監督に頼り、ディフェンス陣の弱点を改善しないままできたからであ
る。強力な南米諸国のアタッカーに対抗するためには、やはり強力なディフェンス陣
を構築しなければ勝てるわけがない。善戦していてもピカルディーアというズ狡(ず
る)さで、最後にPKを献上して敗戦、という筋書きを何度も繰り返している。

ペルーのように守備をおろそかにした中途半端な攻撃的サッカーを見てきているから
こそ、弱点の守備を自覚して徹底的に改善させようという姿勢を示さない、日本代表
の未来に一抹の不安を感じている次第です。

前回、「広島のサッカーを見習え!」と私は述べました。それは、日本代表の選手が
監督の指示に仕切られ,「やらされている」のに対して、広島の選手は自主性をもっ
て「やっている」という違いにある。それだから、日本代表の選手はもっている能力
を発揮できないし、広島の選手は発揮できるわけである。これらの問題は、監督自身
の考えにその原因がある、というのが蜻蛉のつぶやきです。

蜻蛉ちゃんの自己紹介は“about”に記載しています。コメント欄もありますの
で批評してください。

By tombowchan

気になるハリルホジッチ監督の「アジアの指揮官への要求」

11月17日、プノンペンでのW杯アジア2次予選E組、日本代表がカンボジア代表に2
−0で辛勝した後、

ハリルホジッチ日本代表監督は、カンボジアのメディアに向け、

 

 「アジアの指揮官たちに言いたい。毎試合このような(守備固めの)試合をすると
向上しない。チームを発展させたいなら、もっと勇気を持って前に攻撃すべき。これ
が原因で低いレベルにとどまっているのだと思う」

と語った。

 まるで本田圭佑選手が日本のメディアに向かって、ACミランやイタリアサッカー
界を批判したのと同じように、アジアの指揮官(カンボジアも含めた)やアジアサッ
カー界に苦言を呈しているのには、驚いたというより、(一線を越えた発言には)あ
きれました。

偶然かこの2人の背景もよく似ている。チームの状態がよくなく、選手と監督という
立場の違いがあっても、批判される立場も同じ状況で、メディアに向けて不満をぶち
まけたのには驚かされた。

11月21日、Jリーグ第2ステージの最終戦、首位の広島サンフレッチェは湘南ベル
マールと地元で対戦しました。この日の広島は開始早々から自陣を固める守備的な
サッカーで、湘南の攻撃を迎えていた。広島は押されながらも、余裕をもって対応
し、湘南のディフェンスラインが上がってきたところを、両翼が裏のスペースを突い
て、的確なクロスを決めたり、ミドルシュートを決めるなどで、結果は5−0で完
勝。ステージ優勝。

広島はハリルホジッチ監督が批判した守備的なサッカーを選んだ。けれども終わって
みれば大勝。この広島の守備固めに、彼は、アジアの指揮官に向けたような批判がで
きますか?

広島の森安一監督は、湘南の速攻スタイルを熟知したうえで、守備に重点を置いて、
相手に攻めさせながら弓を引くかのように結束力を固め相手を引きつけ、三本の矢
(サンフレッチェ)でカウンターを仕掛けて、相手の懐(ゴール)に的中させる戦術
だった。ハリルホジッチ監督がやろうとしている堅守速攻そのものではないか。(日
本代表をもっと強くしたければ、「広島のサッカーを見習え!」と言いたい。)

それなのにカンボジアやシンガポールに攻め倦んだ日本代表への矛先を、アジアサッ
カー界に向けて批判したのは、何のためなのか? 気になりますね。これが今日のつ
ぶやきである・

By tombowchan

「補完関係のない選手を使った」とは?

ハリルホジッチ日本代表監督は、カンボジア戦の前半でのひどい内容に関して、「補
完関係のない選手を使ってしまった」ことが原因で、混乱が起きてしまった、と語っ
ていた。これは間違いなく監督の責任である。

 「補完関係」とはどういうことでしょう。日本語には「適材適所」というすばらし
い言葉がある。サッカーのチームを構成する場合には、各ポジションごとに、相応し
い選手を配置することが、効率のよい仕事ができることを意味するようです。

 優れたチームをつくるのに、オールスターのような優れた選手を揃えればことが足
りるわけではありません。どんなに優れた選手たちであっても、やはり練習やゲーム
をとおして、チームを組み立てていかなければいい仕事はできません。自分たちの
チームだけのことだけでなく、対戦相手のことも包含して考えなければならないので
す。そこで、次の4つの関係のことを考慮した上で、先発の選手を選ばなければなら
ないのです。

 *適応関係:選手のプレーの性格や能力とポジションとの関係。

 *依存関係:選手間相互による組み合わせの関係。

 *因果関係:相手チームや選手との相性関係。

 *構造関係:チームの戦術と選手の技術的な能力とバランスの関係。

これら4つを含有したものが、サッカーでいう「補完関係」なのです。

 カンボジア戦のスタメンに2人のボランチ(遠藤航と山口蛍)を配置しました。遠
藤はコンディションが良くなかったせいもありましたが、まったく機能せず、山口も
彼の良さが発揮できず、攻守の連携が途切れて、チームに混乱をもたらしてしまって
いた(おそらく監督はこのことを指摘したのであろう)。

 

 後半、遠藤に代わって、柏木陽介が入り、彼が連携(リンク)になって、選手の動
きとボールの動きがスムーズで多彩になり、後半早々に、柏木のロングパスからPK
(失敗)を取ったり、柏木のFKから先制点をとって、ようやくチームが息を吹き返
した。

 監督は失敗したことで、彼自身の反省と柏木のような、ゲームメーカー的なプレー
ヤーが、これまでの日本代表に足りなかったこと、それに柏木が局面を変えられる
スーパーサブとしてでも使える可能性が出てきた、ということだけでも、この2戦は
収穫だったと考えるほうがいいんじゃないかな。これが蜻蛉のつぶやきです。

 

By tombowchan

ハリルホジッチ日本代表監督の采配についての評価

 ハリルホジッチ監督が日本代表に就任して、以前と比べ、日本代表の選手たちのプ
レーは良くなったと思いますか? 皆さんはそれぞれ自分の立場から評価されられる
ので、当然いろいろな意見が出されると思います。

ここでは、私自身の監督の経験による立場から覗いた視点で、忌憚なくつぶやいてみ
ましょう。

 

11月12日と17日、W杯アジア2次予選の対シンガポールとカンボジアのアウェーの戦い
に限って言えば、現在の日本代表のレベルでは、最終予選で勝てる要素が全然見当た
らない。当然日本代表の目的はW杯ロシア大会の出場権を獲得すること。しかし、い
まの調子では楽観視できないしたいへん厳しい状況下にある。

 この2試合では、相手が守備を固めたとはいえ、MFの柏木とFWの金崎という新戦力
の活躍だけが目立って、期待されているMF香川やFWの宇佐美が全然、チームに溶け込
んで活きていない。ということはどう解釈したらいいのだろうか?カンボジア戦の前
半は、選手たちの動きがバラバラで、ミスだらけで、まったくひどい内容であった。
監督は、「補完関係のない選手を使った」のは自分の責任である。と語っています
が、私にはどうも理解し難い。

 監督自身の性格だろうか、就任以来なんだかんだと細かいことを、注文したり条件
をつけたりしているように、選手交代の際に、ピッチに入る寸前、アシスタントコー
チが指示しているのに、さらに指示を与えているのを見かけるが、どうも言い過ぎの
ように思えてならない。選手たちは試合を見ているのだから、当然自分が入ったら
「どうしよう」と、プレーのイメージを描いて準備しているはず。また練習でも、監
督のコンセプトを聞かされているのだから、へたに細かい指示を出せば、選手の創造
性を活かすことはできないし、迷いが出てしまう。もちろんその選手の活躍も期待で
きない。そう思いませんか?

 蜻蛉の監督への採点では、現在のところ不合格。「日本の選手は欧州や南米の選手
ではない。」というところから出発しなければ、監督のコンセプトをいくら押し付け
ても選手は認識できないまま無駄な時間を過ごすことになる。

 次回は、「補完関係のない選手を使った」ということについてつぶやこうと考えて
います。

By tombowchan

ストリートサッカーが鍵を握る日本のサッカー

 前回まで、藤田一郎さんの言う「プレーの原点・基本に未熟さがある」こと、霜田
正浩技術委員長の言う「原点回帰」にて、「球際での強さが足りない」ことなど、本
質的に変わっていないことを私は指摘してきました。

 

アーセン・ベンゲルの言う、7〜12歳というのは、プレゴールデンエイジ、ゴールデ
ンエイジと呼ばれ、この時期は、神経系の発達の著しい年代で、さまざまな神経回路
が形成されていく大切な過程で、多種多様な動きを体験させることがもっとも大切な
課題となります。12歳ころになると、神経系の発達がほぼ完成に近づき、形態的にも
やや安定した時期に入るのです。一生に一度だけ訪れる「即座の習得」を備えた動作
習得にとって、もっとも有利な、それに非常に特異な時期として位置づけられていま
す。ですから、この年代が大きな鍵を握っている、とも言えるのです。

わたしは日本でプレーしているころから、外国映画をとおしてストリートサッカーに
興味をもっていました。約40年前に南米のペルーに渡って、子どもたちが、道端や公
園やコンクリートのミニサッカーコートで遊ぶゲームを見たときには、強烈な衝撃を
受けました。

「子どもでも、こんな激しいサッカーをやっているのか。これじゃ、日本の選手がい
くら練習してもかなわない」と思った。

日本では、この時期に、指導者に教えられて、ボールリフティング、ボールの蹴り方
やトラップの仕方やドリブル等々形式的なプレーをやっているのに、ここ(ペルー)
の子は、ゲームの流れの中で、年齢も背丈も違う相手と、堂々とプレーしているのに
は驚かされた。これこそ、ベンゲルの言う年代での理にかなった方法のひとつで、こ
の時期に各人の気質や体質と個性を養われるのだ、とわたしは確信を持って言える。

残念ながら、日本ではテレビのCMでストリートサッカーを放映しているのに、牧歌的
にみているだけで、誰もが、そのゲームの重要さに気づかないでいる。サッカーの解
説者からも話題になることもないのだ。

これこそが、プロになって20年以上経っても、世界のトップクラスとの溝が埋まらな
い、根本的な要因のひとつではないだろうか?。これが今回の蜻蛉のつぶやきです。

By tombowchan

一貫性のないサッカー日本代表監督

 前回「主体性のない日本人の性格」について述べました。今回はその主体性のなさ
の一例を挙げて考えてみましょう。

 Jリーグ発足の際、各クラブの参入資格の条件の一つに、トップチームだけでなく
ユースやジュニアの選手育成を義務付け、一貫性のある指導体制とトップに供給でき
る選手の育成を目指しました。その成果は少し少し現れ、ユース年代でのU-20は 世
界選手権第2位という結果も出しました。FIFA・W杯もオフト監督(オランダ)率い
る日本代表はドーハの悲劇で出場権獲得寸前で逸した後、次回の1998年フランス大会
から2014年ブラジル大会まで5回連続出場を果たしてきました。

 

 ところが、W杯本大会での日本代表は期待されながらも、思うようには結果を出せ
ないで、熱烈なサムライブルーのファンをヤキモキさせています。日本代表はどうし
て結果を出せないのでしょうか?その原因のひとつには、日本サッカー協会の強化技
術委員会が指名する、日本代表の監督にあるのです。

 2014ザッケロー二(イタリア)から辿ってみると、2010岡田(日本)・オシム(ボ
スニア・ヘルツェゴビア)

 2006ジーコ(ブラジル)− 2002トルシエ(フランス) − 1998岡田・加茂(日
本)・ファルカウーン(ブラジル)というように、欧州―南米―日本 を行き来し
て、サッカーのスタイルも監督交代の都度、コロコロ変わり一貫性がないことが歴
然。

 

 ブラジルにしろドイツにしろ「スタイルはこれだ!」というのがイメージできます
が、「日本のスタイルは?」 

と言われても私には、イメージが湧いてきません。日本代表のスタイルが決まらない
で、選手たちはその都度監督の言いなりに従うことにはなりませんか。

そうです、現日本代表のハリルジツチ監督も選手たちになんだかんだと要求してま
す。日本のサッカーに  「文化がない」と言われていることも、日本人の「主体性
のない」性格をズバリ示唆しているのです。

これらのことからも、一貫性のない監督の指導では、選手たちの能力を100%引き出
すことは、期待できないと言ってもいい。というのは、いくらしっかりしたプランを
立てても、それをやり遂げる力に問題があるということは、スタイルやシステムが結
果に左右されて、中途半端のまま、方向転換させてしまうからです。

これが蜻蛉のつぶやきです。

 

By tombowchan

主体性のない日本人の性格に問題?

これまで「日本のサッカーは本質的に変わっていない」ということを、いくつかの例
を挙げてきました。

ペルーから36年ぶりに日本に一時帰国して以来私は、4年間、日本という国を客観的
に覗いてきて感じたことは、日本は民主国家といいながら、まるで米国の植民地では
ないか、と錯覚するほど主体性がないことです。

そのひとつは言葉です。日本語があるのに、わざわざ英語で表現したりしているこ
と。サッカーにしても、自分たちが直接観戦しているのに、わざわざ外国人の知名度
のある人に「日本のサッカーはどうか?」と質問したりしていますね。なぜ当事者で
ない人の評価をきにするのでしょう。

サッカーにかぎらず、なにか上手くいくと、その理由を批判的に分析することなく、
鵜呑みに賛辞を送ったりうぬぼれたりし、逆に失敗すれば原因のいかんを問わず意気
消沈すたり信用しなくなったりしやすいようですね。それに、失敗したことを、批判
されたり責任をとらされるのを恐れて、黙秘したり直接批判を受けるのを回避したり
ということが、あらゆる分野で起こっている現実を見てきて、日本人の気質と日本の
社会の体質はむかしと比べて変わっていないのだな、と再確認している次第です。

ラグビーのエディ・ジョーンズ元日本代表ヘッド・コーチ(HC),サッカーのヴァ
ヒッド・ハリルホヂッチ現日本代表監督が、わずかな期間で、ズバリ日本の問題の核
心を突いた言葉を発するのは、日本人の見方や考え方が、ラグビーやサッカーの文化
に適応していないことが、選手たちのプレーにそのまま表れているからで、いくら技
術を磨いても、世界基準の目標を立てても、現状のままでは、日本人が考えている目
標には到達できないことを示唆しているのです。いまのままでは浮き沈みを繰り返す
ことになることを暗示しているようです。

国会で自由民主党とか民主党とか、民主主義の旗頭のよう名の政党が日本の政治を牽
引しています。ところで、民主主義とはなんぞや? と考えたことがありますか。わ
たしの頭にある民主主義は、

「ひとりひとりが自分の地図と羅針盤をもって、自分たちの事は、自分たちの手で心
配すべきこと」という捉え方をしています。ところが、多くの日本人は、世界のこと
をいうと、自分たちの心配すべきものとは考えようとはせず、自分たちがそれに順応
すべき大勢というふうに、あくまでも受動的にしか反応していないように思われま
す。このような性格が、サッカー界にも表れているようです。

これらが蜻蛉のつぶやきです。次回はサッカー界の問題に触れていきたいと思いま
す。

By tombowchan

アーセン・ベンゲルが遺してくれた日本サッカーの課題

1996年、Jリーグの名古屋グランパスを指揮していたアーセン・ベンゲル(フラン
ス)監督が(イングランドの名門クラブ“アーセナル”へ移籍のため)、退団した日
の記者会見で、日本サッカー界に大変重要なことを述べてくれました。 下記のこと
を覚えていますか?

「日本サッカーの課題は、日本サッカー協会が投資しユースのコーチを育成するこ
と。そして、サッカーの教育システムを変えることです。7〜12歳は、ゲーム中の体
の向きや位置を会得するのに、重要な時期であること。また、学校で習った選手がプ
ロに来るのは隔たりがあることです。名古屋の選手を見て分かりました。日本の教育
は分析的で、『この状況ではこれ』と凝り固まりますから、すべてのプレーはゴルフ
のようです。サテライト(現在はないようですが、二軍のチーム)の選手でも敵がい
なければ、いいシュートを打ちます。でも、サッカーは常に敵がいます。ですから応
用力が必要です。それをつくるのが7〜12歳の時期なのです。日本人は集団で動きま
す。一方、欧州は自分自身で決着をつけます。サッカーは集団競技ですが、時には自
分で決断しなければならないのです。」

(平成8年9月28日付 朝日新聞より)

日本サッカー界は、このような貴重な提言を遺してくれているのに、いまなお、何一
つクリアーできていない、と言っても過言ではない。すべてが中途半端のままとも言
える。

日本代表だけの問題ではない。それに、現状のままでは代表の監督に期待してもいい
結果は出てこない、というのは、日本社会と日本人の「気質」と「体質」に問題の原
因があるからです。私が述べていることは、日本の基準ではなく、世界を基準にして
見ているからです。

  

現代の情報社会は便利になった反面、次々と現れる新しい情報に惑わされて、大事な
ことを置き去りにしていることに気づかないでいるようだ。目先の問題に気をとられ
て、肝心なことを忘れていないだろうか。

これが蜻蛉のつぶやきです。

By tombowchan

ラグビー日本代表エディ・ジョーンズHCの言葉に耳を傾けよ! 

 日本でラグビーは知らなくても、「五郎丸」という名は、アッという間に知れ渡り
ました。それほど強烈な印象を与えてくれましたラグビー日本代表のW杯での活躍の
裏に、

(東京オリンピックで金メダルを獲得した、女子バレーボール日本代表の大松博文監
督が率いていた、“東洋の魔女”と呼ばれていた日紡貝塚の壮烈な練習を彷彿させる
ような)

4年間の厳しい鍛錬で、日本の選手の「気質」と「体質」を変えてきたからこそ、

優勝候補の南アフリカに勝つことができたのです。残念ながら3勝1敗の成績にもか
かわらず、グループ戦で敗退しましたけれど、日本のスポーツ界にとって重要な教訓
を遺してくれました。

 ラグビー日本代表を指揮したエディ・ジョーンズヘッドコーチ(HC)は、帰国した
日の記者会見にて、

日本ラグビー界に「意識の改革」という宿題を提言しました。

 「日本のラグビーは力を発揮しきっていないと常々感じていた。」

 「良い選手がたくさんいても、文化がプレーするということに直結していない。」

 「高校から大学、トップリーグまでそう。規律を守らせ、従順にするためだけに指
導されている。」

 その例、

 「足の速いウィンガーが大学にて、1週間に6日も中距離ランナーのような練習を
させられている。そうなれば速さは失われてしまう」

 

 小兵の田中選手も、

 「いまの大学のシステムでは中途半端。高校はやらされている。対等にやってもら
いたい」

 「エディ流を流行できれば、選手層も厚く競争力もたかまるだろう。ただし、しっ
かりしたプランがなければ、強い代表はできない。やり遂げる力も必要だ。でも、日
本ではこれを遂行するのは難しい。なぜか?変化を嫌う人もいるからだ」

 ここではラグビー界のことを述べていますが、これをサッカー界に置き換えてみれ
ば、日本サッカー界の問 

題と同様で、私が指摘している「本質」というか「核心」をズバリ突き刺されたと
いっても過言ではない。

 

次回は、日本サッカー界の問題に関しても、忌憚なくつぶやいていこうと思います。

 

By tombowchan

「日本のサッカーは、Jリーグ前と、本質的に変わっていない」

前回にて、「日本のサッカーは、Jリーグ開幕のアマチュア時代と比べ、本質的には
あまり変わっていない」ことを、つぶやきました。なぜでしょうか? その理由は、
つぎに登場する、日本サッカー協会の技術担当のお2人の述べられていることに、そ
のわけがあるのです。

日本サッカーの環境は間違いなく変わっています。選手たちのプレーも、W杯5大会回
連続出場していることからも進化していることも確かです。ところが、日本の選手と
世界トップクラスとの差を詰めるのに必要な資質(気質と体質、あるいはメンタルと
フィジカル)が、いまだ克服できないで右往左往しているようです。

1992年当時ユースの祖と呼ばれていた、藤田一郎さんの報告書に、

「プレーの原点・基本に未熟さがある。激しいつば競り合い、ボール際での競り合い
にひるみ、負い目がでがちである。ボールコントロールが良くなったと言われてい
る。しかし、力強さ、ダイナミックさに欠けている。プレッシャー、スピードのなか
で正確に、前向き発揮するに至っていない。」と述べておられた。

2015年4月23日、霜田正浩強化担当技術委員長が「2015年日本代表強化指針」を発表
しました。

「原点回帰」:ゴールに向かう意識やボールの奪い合いの攻防で勝つこと。ペナル
ティエリア内の質の向上を強調。攻撃の優先順や球際の強さ、泥臭さや執念などを訴
えた。

「Japan`s Way」:省略。

「世界基準」:フィジカルのさらなる向上、戦術的柔軟性、勝者のメンタリティ獲
得。日本に欠ける部分に

      正面から取り組む必要性を強調。

以上、藤田さんと霜田さんの、時間的な差は23年、カテゴリーもアマのユースとプロ
のトップクラスとの差があるのに、述べられている課題は、ほとんど変わっていない
ことに、気づかれたかと思います。

では、どうして変わらないのでしょうか? それは、次回につぶやくことにします。

By tombowchan